晶子詩篇全集
美濃部民子夫人に獻ず
自序
美濃部民子様
わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壹篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記錄の斷片として讀んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐましたのですが、幸なことに、實業之日本社の御厚意に由り、このやうに印刷して下さることになりました。
ついては、奥様、この一冊を奥様に捧げさせて頂くことを、何とぞお許しくださいまし。
奥様は久しい以前から御自身の園にお手づからお作りになつてゐる薔薇の花を、毎年春から冬へかけて、お手づからお採りになつては屢わたくしに贈つて下さいます。お女中に持たせて來て頂くばかりで無く、郊外からのお歸りに、その花のみづみづしい間にと思召して、御自身でわざわざお立寄り下さることさへ度度であるのに、わたくしは何時も何時も感激して居ます。わたくしは奥様のお優しいお心の花であり匂ひであるその薔薇の花に、この十年の間、どれだけ勵まされ、どれだけ和らげられてゐるか知れません。何時も何時もかたじけないことだと喜んで居ます。
この一冊は、決して奥様のお優しいお心に酬い得るもので無く、奥様から頂くいろいろの秀れた美くしい薔薇の花に比べ得るものでも無いのですが、唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、眞面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手氣儘な詩ですけれども、わたくしと云ふ素人の手作りである點だけが奥様の薔薇と似てゐることに由つて、この光も香もない一冊をお受け下さいまし。
永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を總べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。制作の年代が旣に自分にも分からなくなつてゐるものが多いので、ほぼ似寄つた心情のものを類聚して篇を分りました。統一の無いのはわたくしの心の姿として御覽を願ひます。
山下新太郎先生が装幀のお筆を執つて下さいましたことは、奥様も、他の友人達も、一般の讀者達も、共に喜んで下さいますことと思ひます。
與謝野晶子
雲片片
(小曲五十六篇)
草と人
如何なれば草よ、
風吹けば一方に寄る。
人の身は然らず、
己が心の向き向きに寄る。
何か善き、何か惡しき、
知らず、唯だ人は向き向き。
風吹けば一方に寄る。
人の身は然らず、
己が心の向き向きに寄る。
何か善き、何か惡しき、
知らず、唯だ人は向き向き。
鼠
わが家の天井に鼠栖めり、
きしきしと音するは
鑿とりて像を彫む人
夜も寢ぬが如し。
またその妻と踊りては
𢌞るひびき
競馬の勢あり。
わが物書く上に
屋根裏の砂ぼこり
はらはらと散るも
彼等いかで知らん。
されど我は思ふ、
我は鼠と共に栖めるなり、
彼等に食ひ物あれ、
よき溫かき巢あれ、
天井に孔をも開けて、
折折に我を覗けよ。
きしきしと音するは
鑿とりて像を彫む人
夜も寢ぬが如し。
またその妻と踊りては
𢌞るひびき
競馬の勢あり。
わが物書く上に
屋根裏の砂ぼこり
はらはらと散るも
彼等いかで知らん。
されど我は思ふ、
我は鼠と共に栖めるなり、
彼等に食ひ物あれ、
よき溫かき巢あれ、
天井に孔をも開けて、
折折に我を覗けよ。
賀川豐彥さん
わが心、程を踰えて
高ぶり、他を凌ぐ時、
何時も何時も君を憶ふ。
高ぶり、他を凌ぐ時、
何時も何時も君を憶ふ。
わが心、消えなんばかり
はかなげに滅入れば、また
何時も何時も君を憶ふ。
はかなげに滅入れば、また
何時も何時も君を憶ふ。
つつましく、謙り、
しかも命と身を投げ出だして
人と眞理の愛に强き君、
ああ我が賀川豐彥の君。
しかも命と身を投げ出だして
人と眞理の愛に强き君、
ああ我が賀川豐彥の君。
人に答へて
時として獨を守る。
時として皆と親む。
おほかたは險しき方に
先づ行きて命傷つく。
こしかたも是れ、
行く末も是れ。
許せ、我が斯かる氣儘を。
時として皆と親む。
おほかたは險しき方に
先づ行きて命傷つく。
こしかたも是れ、
行く末も是れ。
許せ、我が斯かる氣儘を。
晩秋の草
野の秋更けて、露霜に
打たるものの哀れさよ。
いよいよ赤む蓼の茎、
黑き實まじるコスモスの花、
さてはまた雜草のうら枯れて
斑を作る黄と綠。
打たるものの哀れさよ。
いよいよ赤む蓼の茎、
黑き實まじるコスモスの花、
さてはまた雜草のうら枯れて
斑を作る黄と綠。
書齋
唯だ一事の知りたさに
彼れを讀み、其れを讀み、
われ知らず夜を更かし、
取り散らす數數の書の
座を繞る古き巻巻。
客人よ、これを見たまへ、
秋の野の臥す猪の床の
萩の花とも。
彼れを讀み、其れを讀み、
われ知らず夜を更かし、
取り散らす數數の書の
座を繞る古き巻巻。
客人よ、これを見たまへ、
秋の野の臥す猪の床の
萩の花とも。
我友
ともに歌へば、歌へば、
よろこび身にぞ餘る。
賢きも智を忘れ、
富みたるも財を忘れ、
貧しき我等も勞を忘れて、
愛と美と淚の中に
和樂する一味の人。
よろこび身にぞ餘る。
賢きも智を忘れ、
富みたるも財を忘れ、
貧しき我等も勞を忘れて、
愛と美と淚の中に
和樂する一味の人。
歌は長きも好し、
悠揚として朗かなるは
天に似よ、海に似よ。
短きは更に好し、
ちらとの微笑、端的の叫び。
とにかくに樂し、
ともに歌へば、歌へば。
悠揚として朗かなるは
天に似よ、海に似よ。
短きは更に好し、
ちらとの微笑、端的の叫び。
とにかくに樂し、
ともに歌へば、歌へば。
戀
わが戀を人問ひ給ふ。
わが戀を如何に答へん、
譬ふれば小き塔なり、
礎に二人の命、
眞柱に愛を立てつつ、
層ごとに學と藝術、
汗と血を塗りて固めぬ。
塔は是れ無極の塔、
更に積み、更に重ねて、
世の風と雨に當らん。
猶卑し、今立つ所、
猶狹し、今見る所、
天つ日も多くは射さず、
寒きこと二月の如し。
賴めるは、微なれども
唯だ一つ内なる光。
わが戀を如何に答へん、
譬ふれば小き塔なり、
礎に二人の命、
眞柱に愛を立てつつ、
層ごとに學と藝術、
汗と血を塗りて固めぬ。
塔は是れ無極の塔、
更に積み、更に重ねて、
世の風と雨に當らん。
猶卑し、今立つ所、
猶狹し、今見る所、
天つ日も多くは射さず、
寒きこと二月の如し。
賴めるは、微なれども
唯だ一つ内なる光。
己が路
わが行く路は常日頃
三人四人とつれだちぬ、
また時として唯だ一人。
三人四人とつれだちぬ、
また時として唯だ一人。
一人行く日も華やかに、
三人四人と行くときは
更にこころの樂めり。
三人四人と行くときは
更にこころの樂めり。
我等は選りぬ、己が路、
一すぢなれど己が路、
けはしけれども己が路。
一すぢなれど己が路、
けはしけれども己が路。
また人に
病みぬる人は思ふこと
身の病をば先きとして
すべてを思ふ習ひなり。
我は年頃戀をして
世の大方を後にしぬ。
かかる立場の止み難し、
人に似ざれと、偏れど。
身の病をば先きとして
すべてを思ふ習ひなり。
我は年頃戀をして
世の大方を後にしぬ。
かかる立場の止み難し、
人に似ざれと、偏れど。
車の跡
ここで誰の車が困つたか、
泥が二尺の口を開いて
鐵の輪にひたと吸ひ付き、
三度四度、人の滑つた跡も見える。
其時、兩脚を槓杆とし、
全身の力を集めて
一氣に引上げた心は
鐵ならば火を噴いたであらう。
ああ、自ら勵む者は
折折、これだけの事にも
その二つと無い命を賭ける。
泥が二尺の口を開いて
鐵の輪にひたと吸ひ付き、
三度四度、人の滑つた跡も見える。
其時、兩脚を槓杆とし、
全身の力を集めて
一氣に引上げた心は
鐵ならば火を噴いたであらう。
ああ、自ら勵む者は
折折、これだけの事にも
その二つと無い命を賭ける。
繫縛
木は皆その自らの根で
地に縛られてゐる。
鳥は朝飛んでも
日暮には巢に返される。
人の身も同じこと、
自由な魂を持ちながら
同じ區、同じ町、同じ番地、
同じ寢臺に起き臥しする。
地に縛られてゐる。
鳥は朝飛んでも
日暮には巢に返される。
人の身も同じこと、
自由な魂を持ちながら
同じ區、同じ町、同じ番地、
同じ寢臺に起き臥しする。
歸途
わたしは先生のお宅を出る。
先生の視線が私の背中にある、
わたしは其れを感じる、
葉巻の香りが私を追つて來る、
わたしは其れを感じる。
玄關から御門までの
赤土の坂、並木道、
太陽と松の幹が太い縞を作つてゐる。
わたしはぱつと日傘を擴げて、
左の手に持ち直す、
頂いた紫陽花の重たい花束。
どこかで蟬が一つ鳴く。
先生の視線が私の背中にある、
わたしは其れを感じる、
葉巻の香りが私を追つて來る、
わたしは其れを感じる。
玄關から御門までの
赤土の坂、並木道、
太陽と松の幹が太い縞を作つてゐる。
わたしはぱつと日傘を擴げて、
左の手に持ち直す、
頂いた紫陽花の重たい花束。
どこかで蟬が一つ鳴く。
拍子木
風ふく夜なかに
夜まはりの拍子木の音、
唯だ二片の木なれど、
樫の木の堅くして、
年經つつ、
手ずれ、膏じみ、
心から重たく、
二つ觸れては澄み入り、
嚠喨たる拍子木の音、
如何に夜まはりの心も
みづから打ち
みづから聽きて樂しからん。
夜まはりの拍子木の音、
唯だ二片の木なれど、
樫の木の堅くして、
年經つつ、
手ずれ、膏じみ、
心から重たく、
二つ觸れては澄み入り、
嚠喨たる拍子木の音、
如何に夜まはりの心も
みづから打ち
みづから聽きて樂しからん。
或夜
部屋ごとに點けよ、
百燭の光。
瓶ごとに生けよ、
ひなげしと薔薇と。
慰むるためならず、
懲らしむるためなり。
ここに一人の女、
讃むるを忘れ、
感謝を忘れ、
小き事一つに
つと泣かまほしくなりぬ。
百燭の光。
瓶ごとに生けよ、
ひなげしと薔薇と。
慰むるためならず、
懲らしむるためなり。
ここに一人の女、
讃むるを忘れ、
感謝を忘れ、
小き事一つに
つと泣かまほしくなりぬ。
堀口大學さんの詩
三十を越えて未だ娶らぬ
詩人大學先生の前に
實在の戀人現れよ、
その詩を讀む女は多けれど、
詩人の手より
誰が家の女か放たしめん、
マリイ・ロオランサンの扇。
詩人大學先生の前に
實在の戀人現れよ、
その詩を讀む女は多けれど、
詩人の手より
誰が家の女か放たしめん、
マリイ・ロオランサンの扇。
岬
城が島の
岬のはて、
笹しげり、
黄ばみて濡れ、
その下に赤き切厓、
近き汀は瑠璃、
沖はコバルト、
ここに來て暫し坐れば
春のかぜ我にあつまる。
岬のはて、
笹しげり、
黄ばみて濡れ、
その下に赤き切厓、
近き汀は瑠璃、
沖はコバルト、
ここに來て暫し坐れば
春のかぜ我にあつまる。
靜浦
トンネルを又一つ出でて
海の景色かはる、
心かはる。
靜浦の口の津。
わが敬する龍三郎の君、
幾度か此水を描き給へり。
切りたる石は白く、
船に當る日は桃色、
磯の路は觀つつ曲る、
猶しばし歩まん。
海の景色かはる、
心かはる。
靜浦の口の津。
わが敬する龍三郎の君、
幾度か此水を描き給へり。
切りたる石は白く、
船に當る日は桃色、
磯の路は觀つつ曲る、
猶しばし歩まん。
牡丹
ヹルサイユ宮を過ぎしかど、
われは是れに勝る花を見ざりき。
牡丹よ、
葉は地中海の桔梗色と群靑とを盛り重ね、
花は印度の太陽の赤光を懸けたり。
たとひ色相はすべて空しとも、
何か傷まん、
牡丹を見つつある間は
豐麗炎熱の夢に我の浸れば。
われは是れに勝る花を見ざりき。
牡丹よ、
葉は地中海の桔梗色と群靑とを盛り重ね、
花は印度の太陽の赤光を懸けたり。
たとひ色相はすべて空しとも、
何か傷まん、
牡丹を見つつある間は
豐麗炎熱の夢に我の浸れば。
弓
佳きかな、美くしきかな、
矢を番へて、臂張り、
引き絞りたる弓の形。
射よ、射よ、子等よ、
鳥ならずして、射よ、
唯だ彼の空を。
矢を番へて、臂張り、
引き絞りたる弓の形。
射よ、射よ、子等よ、
鳥ならずして、射よ、
唯だ彼の空を。
的を思ふことなかれ、
子等と弓との共に作る
その形にこそいみじけれ、
唯だ射よ、彼の空を。
子等と弓との共に作る
その形にこそいみじけれ、
唯だ射よ、彼の空を。
秋思
わが思ひ、この朝ぞ
秋に澄み、一つに集まる。
愛と、死と、藝術と、
玲瓏として涼し。
目を上げて見れば
かの靑空も我れなり、
その木立も我れなり、
前なる狗子草も
淚しとどに溜めて
やがて泣ける我れなり。
秋に澄み、一つに集まる。
愛と、死と、藝術と、
玲瓏として涼し。
目を上げて見れば
かの靑空も我れなり、
その木立も我れなり、
前なる狗子草も
淚しとどに溜めて
やがて泣ける我れなり。
園中
蓼枯れて莖猶紅し、
竹さへも秋に黄ばみぬ。
園の路草に隱れて、
草の露晝も乾かず。
咲き殘るダリアの花の
泣く如く花粉をこぼす。
童部よ、追ふことなかれ、
向日葵の實を食む小鳥。
竹さへも秋に黄ばみぬ。
園の路草に隱れて、
草の露晝も乾かず。
咲き殘るダリアの花の
泣く如く花粉をこぼす。
童部よ、追ふことなかれ、
向日葵の實を食む小鳥。

俵万智訳 みだれ髪
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君→燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの 与謝野晶子の名作を、俵万智が短歌の形で超訳! 百年前の恋が甦る。
人知らず
翅無き身の悲しきかな、
常にありぬ、猶ありぬ、
大空高く飛ぶ心。
我れは痩馬、默默と
重き荷を負ふ。人知らず、
人知らず、人知らず。
常にありぬ、猶ありぬ、
大空高く飛ぶ心。
我れは痩馬、默默と
重き荷を負ふ。人知らず、
人知らず、人知らず。
飛行船
外の國より膽太に
そつと降りたる飛行船、
夜の間に去れば跡も無し。
我はおろかな飛行船、
君が心を覗くとて、
見あらはされた飛行船。
そつと降りたる飛行船、
夜の間に去れば跡も無し。
我はおろかな飛行船、
君が心を覗くとて、
見あらはされた飛行船。
柳
六もと七もと立つ柳、
冬は見えしか、一列の
廢墟に遺る柱廊と。
春の光に立つ柳、
今日こそ見ゆれ、美くしく、
これは翡翠の殿づくり。
冬は見えしか、一列の
廢墟に遺る柱廊と。
春の光に立つ柳、
今日こそ見ゆれ、美くしく、
これは翡翠の殿づくり。
易者に
ものを知らざる易者かな、
我手を見んと求むるは。
そなたに告げん、我がために
占ふことは遲れたり。
かの世のことは知らねども、
わがこの諸手、この世にて、
上なき幸も、わざはひも、
取るべき限り滿たされぬ。
我手を見んと求むるは。
そなたに告げん、我がために
占ふことは遲れたり。
かの世のことは知らねども、
わがこの諸手、この世にて、
上なき幸も、わざはひも、
取るべき限り滿たされぬ。
甥
甥なる者の歎くやう、
「二十越ゆれど、詩を書かず、
踊を知らず、琴彈かず、
これ若き日と云ふべきや、
富む家の子と云ふべきや。」
これを聞きたる若き叔母、
目の盲ひたれば、手探りに、
甥の手を執り、云ひにけり、
「いと好し、今は家を出よ、
寂しき我に似るなかれ。」
「二十越ゆれど、詩を書かず、
踊を知らず、琴彈かず、
これ若き日と云ふべきや、
富む家の子と云ふべきや。」
これを聞きたる若き叔母、
目の盲ひたれば、手探りに、
甥の手を執り、云ひにけり、
「いと好し、今は家を出よ、
寂しき我に似るなかれ。」
花を見上げて
花を見上げて「悲し」とは
君なにごとを云ひたまふ。
嬉しき問ひよ、さればなり、
春の盛りの短くて、
早たそがれの靑病が、
敏き感じにわななける
女の白き身の上に
毒の沁むごと近づけば。
君なにごとを云ひたまふ。
嬉しき問ひよ、さればなり、
春の盛りの短くて、
早たそがれの靑病が、
敏き感じにわななける
女の白き身の上に
毒の沁むごと近づけば。
我家の四男
おもちやの熊を抱く時は
熊の兄とも思ふらし、
母に先だち行く時は
母より路を知りげなり。
五歳に滿たぬアウギユスト、
みづから恃むその性を
母はよしやと笑みながら、
はた淚ぐむ、人知れず。
熊の兄とも思ふらし、
母に先だち行く時は
母より路を知りげなり。
五歳に滿たぬアウギユスト、
みづから恃むその性を
母はよしやと笑みながら、
はた淚ぐむ、人知れず。
正月
紅梅と菜の花を生けた壺。
正月の卓に
格別かはつた飾りも無い。
せめて、こんな暇にと、
繪具箱を開けて、
わたしは下手な寫生をする。
紅梅と菜の花を生けた壺。
正月の卓に
格別かはつた飾りも無い。
せめて、こんな暇にと、
繪具箱を開けて、
わたしは下手な寫生をする。
紅梅と菜の花を生けた壺。
唯一の間
唯だ一つ、あなたに
お尋ねします。
あなたは、今、
民衆の中に在るのか、
民衆の外に在るのか、
そのお答次第で、
あなたと私とは
永劫、天と地とに
別れてしまひます。
お尋ねします。
あなたは、今、
民衆の中に在るのか、
民衆の外に在るのか、
そのお答次第で、
あなたと私とは
永劫、天と地とに
別れてしまひます。
秋の朝
白きレエスを通す秋の光
木立と芝生との反射、
外も内も
淺葱の色に明るし。
立ちて窓を開けば
木犀の香冷やかに流れ入る。
木立と芝生との反射、
外も内も
淺葱の色に明るし。
立ちて窓を開けば
木犀の香冷やかに流れ入る。
椅子の上に少しさし俯向き、
己が手の靜脈の
ほのかに靑きを見詰めながら、
靜かなり、今朝の心。
己が手の靜脈の
ほのかに靑きを見詰めながら、
靜かなり、今朝の心。
秋の心
歌はんとして躊躇へり、
かかる事、昨日無かりき。
良し惡しを云ふも慵し、
これもまた此日の心。
かかる事、昨日無かりき。
良し惡しを云ふも慵し、
これもまた此日の心。
我れは今ひともとの草、
つつましく濡れて項垂る。
悲しみを喜びにして
爽かに大いなる秋。
つつましく濡れて項垂る。
悲しみを喜びにして
爽かに大いなる秋。
今宵の心
何として靑く、
靑く沈み入る今宵の心ぞ。
指に挾む筆は鐵の重味、
書きさして見詰むる紙に
水の光流る。
靑く沈み入る今宵の心ぞ。
指に挾む筆は鐵の重味、
書きさして見詰むる紙に
水の光流る。
我歌
求めたまふや、わが歌を、
かかる寂しきわが歌を。
それは昨日の一しづく、
底に殘りし薔薇の水。
それは千とせの一かけら、
砂に埋れし靑き玉。
かかる寂しきわが歌を。
それは昨日の一しづく、
底に殘りし薔薇の水。
それは千とせの一かけら、
砂に埋れし靑き玉。
憎む
憎む、
どの玉葱も冷かに
我を見詰めて綠なり。
どの玉葱も冷かに
我を見詰めて綠なり。
憎む、
その皿の餘りに白し、
寒し、痛し。
その皿の餘りに白し、
寒し、痛し。
憎む、
如何なれば二方の壁よ、
云ひ合せて耳を立つるぞ。
如何なれば二方の壁よ、
云ひ合せて耳を立つるぞ。
悲しければ
耐へ難く悲しければ
我は云ひぬ「船に乗らん。」
乗りつれど猶さびしさに
また云ひぬ「月の出を待たん。」
海は閉ぢたる書物の如く
呼び掛くること無く、
しばらくして、圓き月
波に跳りつれば云ひぬ、
「長き竿の欲し、
かの珊瑚の魚を釣る。」
我は云ひぬ「船に乗らん。」
乗りつれど猶さびしさに
また云ひぬ「月の出を待たん。」
海は閉ぢたる書物の如く
呼び掛くること無く、
しばらくして、圓き月
波に跳りつれば云ひぬ、
「長き竿の欲し、
かの珊瑚の魚を釣る。」

みだれ髪
燃えるような激情を詠んだ与謝野晶子の第一歌集「みだれ髪」。近代短歌の金字塔をうちたて、多くの若い詩人や歌人たちに影響を与えた作品の数々を、現代語訳とともに味わう。
角川文庫文豪ストレイドッグスコラボカバー
緋目高
鉢のなかの
活潑な緋目高よ、
赤く燒けた釘で
なぜ、そんなに無駄に
水に孔を開けるのか。
氣の毒な先覺者よ、
革命は水の上に無い。
活潑な緋目高よ、
赤く燒けた釘で
なぜ、そんなに無駄に
水に孔を開けるのか。
氣の毒な先覺者よ、
革命は水の上に無い。
涼夜
星が四方の棧敷に
きらきらする。
今夜の月は支那の役者、
やさしい西施に扮して、
白い絹團扇で顏を隱し、
ほがらかに秋を歌ふ。
きらきらする。
今夜の月は支那の役者、
やさしい西施に扮して、
白い絹團扇で顏を隱し、
ほがらかに秋を歌ふ。
卑怯
その路をずつと行くと
死の海に落ち込むと敎へられ、
中途で引返した私、
卑怯な利口者であつた私、
それ以來、私の前には
岐路と
迂路とばかりが續いてゐる。
死の海に落ち込むと敎へられ、
中途で引返した私、
卑怯な利口者であつた私、
それ以來、私の前には
岐路と
迂路とばかりが續いてゐる。
水樓にて
空には七月の太陽、
白い壁と白い河岸通りには
海から上る帆柱の影。
どこかで鋼鐵の板を叩く
船大工の槌がひびく。
私の肘をつく窓には
快い南風。
窓の直ぐ下の潮は
ペパミントの酒になる。
白い壁と白い河岸通りには
海から上る帆柱の影。
どこかで鋼鐵の板を叩く
船大工の槌がひびく。
私の肘をつく窓には
快い南風。
窓の直ぐ下の潮は
ペパミントの酒になる。
批評
我を値踏す、かの人ら。
げに買はるべき我ならめ、
かの太陽に値のあらば。
げに買はるべき我ならめ、
かの太陽に値のあらば。
過ぎし日
先づ天つ日を、次に薔薇、
それに見とれて時經しが、
疲れたる目を移さんと、
して漸くに君を見き。
それに見とれて時經しが、
疲れたる目を移さんと、
して漸くに君を見き。
春風
そこの椿に木隱れて
何を覗くや、春の風。
忍ぶとすれど、身じろぎに
赤い椿の花が散る。
何を覗くや、春の風。
忍ぶとすれど、身じろぎに
赤い椿の花が散る。
君の心を究めんと、
じつと默してある身にも
似るか、素直な春の風、
赤い笑まひが先に立つ。
じつと默してある身にも
似るか、素直な春の風、
赤い笑まひが先に立つ。
或人の扇に
扇を取れば舞をこそ、
筆をにぎれば歌をこそ、
胸ときめきて思ふなれ。
若き心はとこしへに
春を留むるすべを知る。
筆をにぎれば歌をこそ、
胸ときめきて思ふなれ。
若き心はとこしへに
春を留むるすべを知る。
桃の花
花屋の溫室に、すくすくと
きさくな枝の桃が咲く。
覗くことをば怠るな、
人の心も溫室なれば。
きさくな枝の桃が咲く。
覗くことをば怠るな、
人の心も溫室なれば。
杯
なみなみ注げる杯を
眺めて眸の濕むとは、
如何に嬉しき心ぞや。
いざ干したまへ、猶注がん、
後なる酒は淡くとも、
君の知りたる酒なれば、
我の追ひ注ぐ酒なれば。
眺めて眸の濕むとは、
如何に嬉しき心ぞや。
いざ干したまへ、猶注がん、
後なる酒は淡くとも、
君の知りたる酒なれば、
我の追ひ注ぐ酒なれば。
日和山
鳥羽の山より海見れば、
淸き淚が頬を傳ふ。
人この故を問はであれ、
口に云ふとも盡きじかし。
知らんとならば共に見よ、
臥せる美神の肌ごと
すべて微笑む入江をば。
志摩の國こそ希臘なれ。
淸き淚が頬を傳ふ。
人この故を問はであれ、
口に云ふとも盡きじかし。
知らんとならば共に見よ、
臥せる美神の肌ごと
すべて微笑む入江をば。
志摩の國こそ希臘なれ。
春草
彌生はじめの絲雨に
岡の草こそ靑むなれ。
雪に跳りし若駒の
ひづめのあとの窪みをも
圓く埋めて靑むなれ。
岡の草こそ靑むなれ。
雪に跳りし若駒の
ひづめのあとの窪みをも
圓く埋めて靑むなれ。
二月の雨
あれ、琵琶のおと、俄かにも
初心な淚の琵琶のおと。
高い軒から、明方の
夢に流れる琵琶のおと。
初心な淚の琵琶のおと。
高い軒から、明方の
夢に流れる琵琶のおと。
二月の雨のしほらしや、
咲かぬ花をば恨めども、
ブリキの樋に身を隱し、
それと云はずに琵琶を彈く。
咲かぬ花をば恨めども、
ブリキの樋に身を隱し、
それと云はずに琵琶を彈く。
秋の柳
夜更けた辻の薄墨の
痩せた柳よ、絲やなぎ。
七日の月が細細と
高い屋根から覗けども、
なんぼ柳は寂しかろ。
物思ふ身も獨りぼち。
痩せた柳よ、絲やなぎ。
七日の月が細細と
高い屋根から覗けども、
なんぼ柳は寂しかろ。
物思ふ身も獨りぼち。
冬のたそがれ
落ち葉した木はYの字を
墨くろぐろと空に書き、
思ひ切つたる明星は
黄金の句點を一つ打つ。
薄く削つた白金の
神經質の粉雪よ、
瘧を慄ふ電線に
ちくちく觸る粉雪よ。
墨くろぐろと空に書き、
思ひ切つたる明星は
黄金の句點を一つ打つ。
薄く削つた白金の
神經質の粉雪よ、
瘧を慄ふ電線に
ちくちく觸る粉雪よ。

ジャーナリスト与謝野晶子
恋愛歌人として知られる晶子を、ジャーナリストとして描き出す評伝。
歌人でもあり新聞記者出身でもある松村由利子が、その生涯を「新聞と晶子」「大正デモクラシーの中で」などの章立てで整理し、21世紀にも通じるメディア観と女性の生き方を浮かび上がらせる。
惜しき頸輪
我もやうやく街に立ち、
物乞ふために歌ふなり。
ああ、我歌を誰れ知らん、
惜しき頸輪の緖を解きて
日毎に散らす珠ぞとは。
物乞ふために歌ふなり。
ああ、我歌を誰れ知らん、
惜しき頸輪の緖を解きて
日毎に散らす珠ぞとは。
思は長し
思は長し、盡き難し、
歌は何れも斷章。
たとひ萬年生きばとて
飽くこと知らぬ我なれば、
戀の初めのここちせん。
歌は何れも斷章。
たとひ萬年生きばとて
飽くこと知らぬ我なれば、
戀の初めのここちせん。
蝶
羽の斑は刺靑か、
短氣のやうな蝶が來る。
今日の入日の悲しさよ。
思ひなしかは知らねども、
短氣のやうな蝶が來る。
短氣のやうな蝶が來る。
今日の入日の悲しさよ。
思ひなしかは知らねども、
短氣のやうな蝶が來る。
欲望
彼れも取りたし、其れも欲し、
飽かぬ心の止み難し。
飽かぬ心の止み難し。
時は短し、身は一つ、
多く取らんは難からめ、
中に極めて優れしを
今は得んとぞ願ふなる。
多く取らんは難からめ、
中に極めて優れしを
今は得んとぞ願ふなる。
されば近きをさし措きて、
及ばぬ方へ手を伸ぶる。
及ばぬ方へ手を伸ぶる。
小鳥の巢
(押韻小曲五十九篇)
小序。詩を作り終りて常に感ずることは、我國の詩に押韻の體なきために、句の獨立性の確實に對する不安なり。散文の横書きにあらずやと云ふ非難は、放縦なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この缺點を救ひて押韻の新體を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。みづから興に觸れて折折に試みたる拙きものより、次に其一部を抄せんとす。押韻の法は唐以前の古詩、または歐洲の詩を參照し、主として内心の自律的發展に本づきながら、多少の推敲を加へたり。コンソナンツを避けざるは佛蘭西近代の詩に同じ。毎句に同韻を押し、または隔句に同語を繰返して韻に押すは漢土の古詩に例多し。(一九二八年春)
砂を掘つたら血が噴いて、
入れた泥鰌が龍になる。
ここで暫く絶句して、
序文に凝つて夜が明けて、
覺めた夢から針が降る。
入れた泥鰌が龍になる。
ここで暫く絶句して、
序文に凝つて夜が明けて、
覺めた夢から針が降る。
時に先だち歌ふ人、
しひたげられて光る人、
豚に黄金をくれる人、
にがい笑を隱す人、
いつも一人で歸る人。
しひたげられて光る人、
豚に黄金をくれる人、
にがい笑を隱す人、
いつも一人で歸る人。
赤い櫻をそそのかし、
風の癖なるしのび足、
ひとりで聞けば戀慕らし。
雨はもとより春の絲、
窓の柳も春の絲。
風の癖なるしのび足、
ひとりで聞けば戀慕らし。
雨はもとより春の絲、
窓の柳も春の絲。
見る夢ならば大きかれ、
美くしけれど遠き夢、
險しけれども近き夢。
われは前をば選びつれ、
わかき仲間は後の夢。
美くしけれど遠き夢、
險しけれども近き夢。
われは前をば選びつれ、
わかき仲間は後の夢。
すべてが消える、武藏野の
砂を吹きまく風の中、
人も荷馬車も風の中。
すべてが消える、金の輪の
太陽までが風の中。
砂を吹きまく風の中、
人も荷馬車も風の中。
すべてが消える、金の輪の
太陽までが風の中。
花を抱きつつをののきぬ、
花はこころに被さりぬ。
論じたまふな、善き、惡しき、
何か此世に分つべき。
花と我とはかがやきぬ。
花はこころに被さりぬ。
論じたまふな、善き、惡しき、
何か此世に分つべき。
花と我とはかがやきぬ。
凡骨さんの大事がる
薄い細身の鐵の鑿。
髪に觸れても刄の缺ける
もろい鑿ゆゑ大事がる。
わたしも同じもろい鑿。
薄い細身の鐵の鑿。
髪に觸れても刄の缺ける
もろい鑿ゆゑ大事がる。
わたしも同じもろい鑿。
林檎が腐る、香を放つ、
冷たい香ゆゑ堪へられぬ。
林檎が腐る、人は死ぬ、
最後の文が人を打つ、
わたしは君を悲しまぬ。
冷たい香ゆゑ堪へられぬ。
林檎が腐る、人は死ぬ、
最後の文が人を打つ、
わたしは君を悲しまぬ。
いつもわたしのむらごころ、
眞紅の薔薇を摘むこころ、
雪を素足で踏むこころ、
靑い沖をば行くこころ、
切れた絃をつぐこころ。
眞紅の薔薇を摘むこころ、
雪を素足で踏むこころ、
靑い沖をば行くこころ、
切れた絃をつぐこころ。
韻がひびかぬ、死んでゐる。
それで頻りに書いてみる。
皆さんの愚痴、おのが無智、
誰れが覗いた垣の中、
戸は立てられぬ人の口。
それで頻りに書いてみる。
皆さんの愚痴、おのが無智、
誰れが覗いた垣の中、
戸は立てられぬ人の口。
泥の郊外、雨が降る、
濡れた竈に木がいぶる、
踏切番が旗を振る、
ぼうぼうとした草の中、
屑屋も買はぬ人の故。
濡れた竈に木がいぶる、
踏切番が旗を振る、
ぼうぼうとした草の中、
屑屋も買はぬ人の故。
指のさはりのやはらかな
靑い煙の匂やかな、
好きな細巻き、名はDIANA。
命の闇に火をつけて、
光る刹那の夢の華。
靑い煙の匂やかな、
好きな細巻き、名はDIANA。
命の闇に火をつけて、
光る刹那の夢の華。
靑い空から鳥がくる、
野邊のけしきは旣に春、
細い枝にも花がある。
遠い高嶺と我がこころ
すこしの雪がまだ殘る。
野邊のけしきは旣に春、
細い枝にも花がある。
遠い高嶺と我がこころ
すこしの雪がまだ殘る。
槌を上げる手、鍬打つ手、
扇を持つ手、筆とる手、
炭をつかむ手、兒を抱く手、
かげに隱れて唯だひとつ
見えぬは天をゆびさす手。
扇を持つ手、筆とる手、
炭をつかむ手、兒を抱く手、
かげに隱れて唯だひとつ
見えぬは天をゆびさす手。
高い木末に葉が落ちて
あらはに見える、小鳥の巢。
鳥は飛び去り、冬が來て、
風が吹きまく砂つぶて。
ひろい野中の小鳥の巢。
あらはに見える、小鳥の巢。
鳥は飛び去り、冬が來て、
風が吹きまく砂つぶて。
ひろい野中の小鳥の巢。
人は黑黑ぬり消せど
すかして見える底の金。
時の言葉は隔つれど
冴ゆるは歌の金の韻。
ままよ、暫く隅に居ん。
すかして見える底の金。
時の言葉は隔つれど
冴ゆるは歌の金の韻。
ままよ、暫く隅に居ん。
いつか大きくなるままに
子らは寢に來ず、母の側。
母はまだまだ云ひたきに、
金のお日様、啞の驢馬、
おとぎ噺が云ひたきに。
子らは寢に來ず、母の側。
母はまだまだ云ひたきに、
金のお日様、啞の驢馬、
おとぎ噺が云ひたきに。
ふくろふがなく、宵になく、
山の法師がつれてなく。
わたしは泣かない氣でゐれど、
からりと晴れた今朝の窓
あまりに靑い空に泣く。
山の法師がつれてなく。
わたしは泣かない氣でゐれど、
からりと晴れた今朝の窓
あまりに靑い空に泣く。
おち葉した木が空を打ち、
枝も小枝も腕を張る。
ほんにどの木も冬に勝ち、
しかと大地に立つてゐる。
女ごころはいぢけがち。
枝も小枝も腕を張る。
ほんにどの木も冬に勝ち、
しかと大地に立つてゐる。
女ごころはいぢけがち。
玉葱の香を嗅がせても
靑い蛙はむかんかく。
裂けた心を目にしても
廿世紀は横を向く、
太陽までがすまし行く。
靑い蛙はむかんかく。
裂けた心を目にしても
廿世紀は横を向く、
太陽までがすまし行く。
話は春の雪の沙汰、
しろい孔雀のそだてかた、
巴里の夢をもたらした
荻野綾子の宵の唄、
我子がつくる薔薇の畑。
しろい孔雀のそだてかた、
巴里の夢をもたらした
荻野綾子の宵の唄、
我子がつくる薔薇の畑。
誰れも彼方へ行きたがる、
明るい道へ目を見張る、
おそらく其處に春がある。
なぜか行くほどその道が
今日のわたしに遠ざかる。
明るい道へ目を見張る、
おそらく其處に春がある。
なぜか行くほどその道が
今日のわたしに遠ざかる。
靑い小鳥のひかる羽、
わかい小鳥の躍る胸、
遠い海をば渡りかね、」
泣いてゐるとは誰れが知ろ、
まだ薄雪の消えぬ峰。
わかい小鳥の躍る胸、
遠い海をば渡りかね、」
泣いてゐるとは誰れが知ろ、
まだ薄雪の消えぬ峰。
つうちで象をつくつた、
大きな象が目に立つた、
象の祭がさあかえた、
象が俄かに吼えだした、
吼えたら象がこおわれた。
大きな象が目に立つた、
象の祭がさあかえた、
象が俄かに吼えだした、
吼えたら象がこおわれた。
まぜ合はすのは目ぶんりやう、
その振るときのたのしさう。
かつくてえるのことでない、
わたしの知つたことでない、
若い手で振る無產黨。
その振るときのたのしさう。
かつくてえるのことでない、
わたしの知つたことでない、
若い手で振る無產黨。
鳥を追ふとて安壽姫、
母に逢ひたや、ほおやらほ。
わたしも逢ひたや、猶ひと目、
載せて歸らぬ遠い夢、
どこにゐるやら、眞赤な帆。
母に逢ひたや、ほおやらほ。
わたしも逢ひたや、猶ひと目、
載せて歸らぬ遠い夢、
どこにゐるやら、眞赤な帆。
鳥屋が百舌を飼はぬこと、
そのひと聲に百鳥が
おそれて啞に變ること、
それに加へて、あの人が
なぜか折折だまること。
そのひと聲に百鳥が
おそれて啞に變ること、
それに加へて、あの人が
なぜか折折だまること。
逆しに植ゑた戯れに
あかい芽をふく杖がある。
指を觸れたか觸れぬ間に
石から虹が舞ひあがる。
寢てゐた豹の目が光る。
あかい芽をふく杖がある。
指を觸れたか觸れぬ間に
石から虹が舞ひあがる。
寢てゐた豹の目が光る。
われにつれなき今日の時、
花を摘み摘み行き去りぬ。
唯だやさしきは明日の時、
われに著せんと、光る衣、
千とせをかけて手に編みぬ。
花を摘み摘み行き去りぬ。
唯だやさしきは明日の時、
われに著せんと、光る衣、
千とせをかけて手に編みぬ。
がらすを通し雪が積む、
こころの棧に雪が積む、
透いて見えるは枯れすすき、
うすい紅梅、やぶつばき、
靑いかなしい雪が積む。
こころの棧に雪が積む、
透いて見えるは枯れすすき、
うすい紅梅、やぶつばき、
靑いかなしい雪が積む。
はやりを追へば切りがない、
合言葉をばけいべつせい。
よくも揃うた赤インキ、
ろしあまがひの左書き、
先づは二三日あたらしい。
合言葉をばけいべつせい。
よくも揃うた赤インキ、
ろしあまがひの左書き、
先づは二三日あたらしい。
うぐひす、そなたも雪の中、
うぐひす、そなたも悲しいか。
春の寒さに音が細る、
こころ餘れど身が凍る。
うぐひす、そなたも雪の中。
うぐひす、そなたも悲しいか。
春の寒さに音が細る、
こころ餘れど身が凍る。
うぐひす、そなたも雪の中。
あまりに明るい、奥までも
開けはなちたるがらんだう、
つばめの出入によけれども
ないしよに逢ふになんとせう、
闇夜も風が身に沁まう。
開けはなちたるがらんだう、
つばめの出入によけれども
ないしよに逢ふになんとせう、
闇夜も風が身に沁まう。
摘め、摘め、誰れも春の薔薇、
今日の盛りの紅い薔薇、
今日に倦いたら明日の薔薇、
とがるつぼみの靑い薔薇、
摘め、摘め、誰れも春の薔薇、
今日の盛りの紅い薔薇、
今日に倦いたら明日の薔薇、
とがるつぼみの靑い薔薇、
摘め、摘め、誰れも春の薔薇、
己が痛さを知らぬ虫、
折れた脚をも食むであろ。
人の言葉を持たぬ牛、
云はずに死ぬることであろ。
ああ虫で無し、牛でなし。
折れた脚をも食むであろ。
人の言葉を持たぬ牛、
云はずに死ぬることであろ。
ああ虫で無し、牛でなし。
夢にをりをり蛇を斬る、
蛇に巻かれて我が力
爲ようこと無しに蛇を斬る。
それも苦しい夢か知ら、
人が心で人を斬る。
蛇に巻かれて我が力
爲ようこと無しに蛇を斬る。
それも苦しい夢か知ら、
人が心で人を斬る。
論ずるをんな糸採らず、
みちびく男たがやさず、
大學を出ていと賢し、
言葉は多し、手は白し、
之れを耻ぢずば何を耻づ。
みちびく男たがやさず、
大學を出ていと賢し、
言葉は多し、手は白し、
之れを耻ぢずば何を耻づ。
人に哀れを乞ひて後、
淚を流す我が命。
うら耻かしと知りながら、
すべて貧しい身すぎから。
ああ我れとても人の中。
淚を流す我が命。
うら耻かしと知りながら、
すべて貧しい身すぎから。
ああ我れとても人の中。
浪のひかりか、月の出か、
寢覺を照す、窓の中。
遠いところで鴨が啼き、
心に透る、海の秋。
宿は岬の松の岡。
寢覺を照す、窓の中。
遠いところで鴨が啼き、
心に透る、海の秋。
宿は岬の松の岡。
十國峠、名を聞いて
高い所に來たと知る。
世離れたれば、人を見て
路を譲らぬ牛もある。
海に眞赤な日が落ちる。
高い所に來たと知る。
世離れたれば、人を見て
路を譲らぬ牛もある。
海に眞赤な日が落ちる。
すべての人を思ふより、
唯だ一人には背くなり。
いと寂しきも我が心、
いと樂しきも我が心。
すべての人を思ふより。
唯だ一人には背くなり。
いと寂しきも我が心、
いと樂しきも我が心。
すべての人を思ふより。
雲雀は揚がる、麥生から。
わたしの歌は淚から。
空の雲雀もさびしかろ。
はてなく靑いあの虚ろ、
ともに已まれぬ歌ながら。
わたしの歌は淚から。
空の雲雀もさびしかろ。
はてなく靑いあの虚ろ、
ともに已まれぬ歌ながら。
鏡の間より出づるとき、
今朝の心ぞやはらかき。
鏡の間には塵も無し、
あとに靜かに映れかし、
鸚哥の色の紅つばき。
今朝の心ぞやはらかき。
鏡の間には塵も無し、
あとに靜かに映れかし、
鸚哥の色の紅つばき。
そこにありしは唯だ二日、
十和田の水が其の秋の
呼吸を猶する、夢の中。
痩せて此頃おもざしの
靑ざめゆくも水ゆゑか。
十和田の水が其の秋の
呼吸を猶する、夢の中。
痩せて此頃おもざしの
靑ざめゆくも水ゆゑか。
つと休らへば素直なり、
藤のもとなる低き椅子。
花を透して日のひかり
うす紫の陰影を着す。
物みな今日は身に與す。
藤のもとなる低き椅子。
花を透して日のひかり
うす紫の陰影を着す。
物みな今日は身に與す。
海の颶嵐は遠慮無し、
船を吹くこと矢の如し。
わたしの船の上がるとき、
かなたの船は横を向き、
つひに別れて西ひがし。
船を吹くこと矢の如し。
わたしの船の上がるとき、
かなたの船は横を向き、
つひに別れて西ひがし。
笛にして吹く麥の莖、
よくなる時は裂ける時。
戀の脆さも麥の笛、
思ひつめたる心ゆゑ
よく鳴る時は裂ける時。
よくなる時は裂ける時。
戀の脆さも麥の笛、
思ひつめたる心ゆゑ
よく鳴る時は裂ける時。
地獄の底の火に觸れた、
薔薇に埋まる床に寢た、
金の獅子にも乗り馴れた、
天に中する日も飽いた、
己が歌にも聞き恍れた。
薔薇に埋まる床に寢た、
金の獅子にも乗り馴れた、
天に中する日も飽いた、
己が歌にも聞き恍れた。
春風の把る彩の筆
すべての物の上を撫で、
光と色に盡す派手。
ことに優れてめでたきは
牡丹の花と人の袖。
すべての物の上を撫で、
光と色に盡す派手。
ことに優れてめでたきは
牡丹の花と人の袖。
淚に濡れて火が燃えぬ。
今日の言葉に氣息がせぬ、
繪筆把れど色が出ぬ、
わたしの窓に鳥が來ぬ、
空には白い月が死ぬ。
今日の言葉に氣息がせぬ、
繪筆把れど色が出ぬ、
わたしの窓に鳥が來ぬ、
空には白い月が死ぬ。
あの白鳥も近く來る、
すべての花も目を見はる、
靑い柳も手を伸べる。
君を迎へて春の園
路の砂にも歌がある。
すべての花も目を見はる、
靑い柳も手を伸べる。
君を迎へて春の園
路の砂にも歌がある。
大空ならば指ささん、
立つ波ならば濡れてみん、
咲く花ならば手に摘まん。
心ばかりは形無し、
僞りとても如何にせん。
立つ波ならば濡れてみん、
咲く花ならば手に摘まん。
心ばかりは形無し、
僞りとても如何にせん。
人わが門を乗りて行く、
やがて消え去る、森の奥。
今日も南の風が吹く。
馬に乗る身は厭はぬか、
野を白くする砂の中。
やがて消え去る、森の奥。
今日も南の風が吹く。
馬に乗る身は厭はぬか、
野を白くする砂の中。
鳥の心を君知るや、
巢は雨ふりて冷ゆるとも
雛を素直に育てばや、
育てし雛を吹く風も
塵も無き日に放たばや。
巢は雨ふりて冷ゆるとも
雛を素直に育てばや、
育てし雛を吹く風も
塵も無き日に放たばや。
牡丹のうへに牡丹ちり、
眞赤に燃えて重なれば、
いよいよ靑し、庭の芝。
ああ散ることも光なり、
かくの如くに派手なれば、
眞赤に燃えて重なれば、
いよいよ靑し、庭の芝。
ああ散ることも光なり、
かくの如くに派手なれば、
閨にて聞けは朝の雨
半は現實、なかば夢。
やはらかに降る、花に降る、
わが髪に降る、草に降る、
うす桃色の絲の雨。
半は現實、なかば夢。
やはらかに降る、花に降る、
わが髪に降る、草に降る、
うす桃色の絲の雨。
赤い椿の散る軒に
埃のつもる臼と杵、
筵に干すは何の種。
少し離れて垣越しに
帆柱ばかり見える船。
埃のつもる臼と杵、
筵に干すは何の種。
少し離れて垣越しに
帆柱ばかり見える船。
三たび曲つて上る路、
曲り目ごとに木立より
靑い入江の見える路、
椿に歌ふ山の鳥
花踏みちらす苔の路。
曲り目ごとに木立より
靑い入江の見える路、
椿に歌ふ山の鳥
花踏みちらす苔の路。
夢と現実
(雜詩四十章)
明日
明日よ、明日よ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未來の
不可思議の路である。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬れて勵み、
どんなに樂い日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未來の
不可思議の路である。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬れて勵み、
どんなに樂い日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。
明日よ、明日よ、
死と飢とに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日に變り、
灰色をした昨日になつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好い香の餌だ、
光に似た煙だと詛ふことさへある。
死と飢とに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日に變り、
灰色をした昨日になつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好い香の餌だ、
光に似た煙だと詛ふことさへある。
けれど、わたしはそなたを賴んで、
祭りの前夜の子供のやうに
「明日よ、明日よ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日がある。
よしや、そなたが淚を、悔を、愛を、
名を、歡樂を、何を持つて來やうとも、
そなたこそ今日のわたしを引く力である。
祭りの前夜の子供のやうに
「明日よ、明日よ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日がある。
よしや、そなたが淚を、悔を、愛を、
名を、歡樂を、何を持つて來やうとも、
そなたこそ今日のわたしを引く力である。
Where Yosano Akiko’s words become music.
肖像
わが敬する畫家よ、
願くは、我がために、
一枚の像を描きたまへ。
願くは、我がために、
一枚の像を描きたまへ。
バックには唯だ深夜の空、
無智と死と疑惑との色なる黑に、
深き悲痛の脂色を交ぜたまへ。
無智と死と疑惑との色なる黑に、
深き悲痛の脂色を交ぜたまへ。
髪みだせる裸の女、
そは靑ざめし肉塊とのみや見えん。
じつと身ゆるぎもせず坐りて、
盡きぬ淚を手に受けつつ傾く。
前なる目に見えぬ無底の淵を覗く姿勢。
そは靑ざめし肉塊とのみや見えん。
じつと身ゆるぎもせず坐りて、
盡きぬ淚を手に受けつつ傾く。
前なる目に見えぬ無底の淵を覗く姿勢。
目は疲れてあり、
泣く前に、餘りに現實を見たるため。
口は堅く緊りぬ、
未だ一たびも言はず歌はざる其れの如く。
泣く前に、餘りに現實を見たるため。
口は堅く緊りぬ、
未だ一たびも言はず歌はざる其れの如く。
わが敬する畫家よ、
若し此像の女に、
明日と云ふ日のありと知らば、
トワルの何れかに黄金の目の光る一羽の梟を添へ給へ。
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。
若し此像の女に、
明日と云ふ日のありと知らば、
トワルの何れかに黄金の目の光る一羽の梟を添へ給へ。
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。
さて畫家よ、彩料には
わが好むパステルを用ひたまへ、
剝落と褪色とは
恐らく此像の女の運命なるべければ。
わが好むパステルを用ひたまへ、
剝落と褪色とは
恐らく此像の女の運命なるべければ。
讀後
晶子、ヅアラツストラを一日一夜に讀み終り、
その曉、ほつれし髪を掻上げて呟きぬ、
「辭の過ぎたるかな」と。
しかも、晶子の動悸は羅を透して慄へ、
その全身の汗は產の夜の如くなりき。
その曉、ほつれし髪を掻上げて呟きぬ、
「辭の過ぎたるかな」と。
しかも、晶子の動悸は羅を透して慄へ、
その全身の汗は產の夜の如くなりき。
さて十日經たり。
晶子は靑ざめて胃弱の人の如く、
この十日、良人と多く語らず、我子等を抱かず。
晶子の幻に見るは、ヅアラツストラの
黑き巨像の上げたる右の手なり。
晶子は靑ざめて胃弱の人の如く、
この十日、良人と多く語らず、我子等を抱かず。
晶子の幻に見るは、ヅアラツストラの
黑き巨像の上げたる右の手なり。
紅い夢
茜と云ふ草の葉を搾れば
臙脂はいつでも採れるとばかり
わたしは今日まで思つてゐた。
礦物からも、蟲からも
立派な臙脂は採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに眞赤な臙脂の採れるのを。
臙脂はいつでも採れるとばかり
わたしは今日まで思つてゐた。
礦物からも、蟲からも
立派な臙脂は採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに眞赤な臙脂の採れるのを。
アウギユスト
アウギユスト、アウギユスト、
わたしの五歳になるアウギユスト、
おまへこそは「眞實」の典型。
おまへが兩手を廣げて
自然にする身振の一つでも、
わたしは、どうして、
わたしの言葉に譯すことが出來よう。
わたしは唯だ
ほれぼれと其れを眺めるだけですよ、
喜んで目を見張るだけですよ。
アウギユスト、アウギユスト、
母の粗末な藝術なんかが
ああ、何にならう。
私はおまへに由つて知ることが出來た。
眞實の彫刻を、
眞實の歌を、
眞實の音樂を、
そして眞實の愛を。
おまへは一瞬ごとに
神變不思議を示し、
玲瓏圓轉として踊り廻る。
わたしの五歳になるアウギユスト、
おまへこそは「眞實」の典型。
おまへが兩手を廣げて
自然にする身振の一つでも、
わたしは、どうして、
わたしの言葉に譯すことが出來よう。
わたしは唯だ
ほれぼれと其れを眺めるだけですよ、
喜んで目を見張るだけですよ。
アウギユスト、アウギユスト、
母の粗末な藝術なんかが
ああ、何にならう。
私はおまへに由つて知ることが出來た。
眞實の彫刻を、
眞實の歌を、
眞實の音樂を、
そして眞實の愛を。
おまへは一瞬ごとに
神變不思議を示し、
玲瓏圓轉として踊り廻る。
產室の夜明
硝子の外のあけぼのは
靑白き繭のここち……
今一すぢ仄かに
音せぬ枝珊瑚の光を引きて、
わが產室の壁を匍ふものあり。
と見れば、嬉し、
初冬のかよわなる
日の蝶の出づるなり。
靑白き繭のここち……
今一すぢ仄かに
音せぬ枝珊瑚の光を引きて、
わが產室の壁を匍ふものあり。
と見れば、嬉し、
初冬のかよわなる
日の蝶の出づるなり。
ここに在るは、
八たび死より逃れて還れる女――
靑ざめし女われと、
生れて五日目なる
我が藪椿の堅き蕾なす娘エレンヌと
一瓶の薔薇と、
さて初戀の如く含羞める
うす桃色の日の蝶と……
靜かに淸淸しき曙かな。
尊くなつかしき日よ、われは今、
戰ひに傷つきたる者の如く
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日敎徒の信の如し、
わがさしのぶる諸手を受けよ、
日よ、曙の女王よ。
八たび死より逃れて還れる女――
靑ざめし女われと、
生れて五日目なる
我が藪椿の堅き蕾なす娘エレンヌと
一瓶の薔薇と、
さて初戀の如く含羞める
うす桃色の日の蝶と……
靜かに淸淸しき曙かな。
尊くなつかしき日よ、われは今、
戰ひに傷つきたる者の如く
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日敎徒の信の如し、
わがさしのぶる諸手を受けよ、
日よ、曙の女王よ。
日よ、君にも夜と冬の惱みあり、
千萬年の昔より幾億たび、
死の苦に堪へて若返る
天つ焰の力の雄雄しきかな。
われは猶君に從はん、
わが生きて返れるは纔に八たびのみ
纔に八たび絕叫と、血と、
死の闇とを超えしのみ。
千萬年の昔より幾億たび、
死の苦に堪へて若返る
天つ焰の力の雄雄しきかな。
われは猶君に從はん、
わが生きて返れるは纔に八たびのみ
纔に八たび絕叫と、血と、
死の闇とを超えしのみ。
颱風
ああ颱風、
初秋の野を越えて
都を襲ふ颱風、
汝こそ逞しき大馬の群なれ。
初秋の野を越えて
都を襲ふ颱風、
汝こそ逞しき大馬の群なれ。
黄銅の背、
鐵の脚、黄金の蹄、
眼に遠き太陽を掛け、
鬣に銀を散らしぬ。
鐵の脚、黄金の蹄、
眼に遠き太陽を掛け、
鬣に銀を散らしぬ。
火の鼻息に
水晶の雨を吹き、
暴く斜めに、
驅歩す、驅歩す。
水晶の雨を吹き、
暴く斜めに、
驅歩す、驅歩す。
ああ抑へがたき
天の大馬の群よ、
怒れるや、
戯れて遊ぶや。
天の大馬の群よ、
怒れるや、
戯れて遊ぶや。
大樹は逃れんとして、
地中の足を擧げ、
骨を挫き、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。
地中の足を擧げ、
骨を挫き、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。
人は怖れて戸を鎖せど、
世を裂く蹄の音に
屋根は崩れ、
家は船よりも搖れぬ。
世を裂く蹄の音に
屋根は崩れ、
家は船よりも搖れぬ。
ああ颱風、
人は汝によりて、
今こそ覺むれ、
気不精と沮喪とより。
人は汝によりて、
今こそ覺むれ、
気不精と沮喪とより。
こころよきかな、全身は
巨大なる象牙の
喇叭のここちして、
颱風と共に嘶く。
巨大なる象牙の
喇叭のここちして、
颱風と共に嘶く。
